考察「学歴フィルタ」

学歴フィルタについて思うことです。今さら言わずもがなですが。


■初期選別の手がかりとしては、そこそこ有効。

・応募が一定量を超えると、どうしても「初期選別」をする必要があります。(中には「応募者全員とお会いします」という見上げた心意気の会社もありますが)

・初期選別の際には「手がかり」が必要です。そこで、「頭を使う仕事(ここでは処理能力を指します)」であれば、学歴というのは悪い手がかりではないと考えます。(ここでいう学歴は、入試難易度を指します)

・処理能力を図るなら、ペーパーテストを別途実施でもいいじゃないか?ですが、だいたいの結果はその人の学校の入試難易度と相関があるので、あまり意味はないでしょう。

・入試難易度の高い大学・学部出身であれば、少なくとも「物事を考え続けること」「解を導き出すこと(解のある問題への処理速度)」「頭を使うことへの効力感」に期待していいのではないでしょうか。

・もちろん、個人差はあります(例外はいます)。ただ、初期選別ではマスをいかに分類するかということなので、マス(群れ)としては差が出るというのが、多くの人事の経験則なのではないでしょうか。

・さらに、人事の経験則からすると「そのような彼らは、同じような難関を潜り抜けてきた学友との中で、さらに磨かれている」という期待も持てます。

・ただし、受験における学力はあくまでも「頭脳労働・知恵労働」への手がかりであって、それ以上のものではありません。仕事ができるための要件がいくつかある中での、あくまでも一つでしかないです。また、頭脳労働・知恵労働がすべての仕事でもありません。

・ちなみに東大・京大・一橋・旧帝大などは、文系であっても二次試験の数学をクリアしているので、学力は底堅いです。複雑なものに対する耐性は、やはりマスで見ると相対的に高いと感じます。


■不公平なのでは?

・採用における「公平」って何でしょうね。少なくとも営利団体においては、必ずしも公平な競争などはないわけで、それがすでに始まっているだけだと思います。社会の中身がそうであるなら、社会の入口がそうであってもおかしくはない。


■フィルタがあるって言うべきなんじゃないの?

・わざわざ言うのは「不粋」かと。採用実績校を挙げて候補者に察してもらうのも、個人的には不粋かと思います。

・無謀に突っ込んで(いろいろな意味で)身のほどを知って、結果的にその多大な労力が無駄になろうと、それは人生においては必要な過程だと、個人的には思います。


■いい人を見逃してしまうのでは?

・勿論あると思います。例外はたくさんいます。そのリスクを覚悟してやるものです。自己責任で、リスクを覚悟してやっている人間に、外部がとやかく言えることはありません。

・見逃された「いい人」は、やはりいい人なので、いずれどこかで頭角を表すでしょう。


■つまりは例えると

・お見合いに対して多くの申し込みがあったら(例:1人につき30人とか)、全員とは会えない。そうなると何らかの会う基準を設けざるを得ないわけで、その際に「収入」「勤務先」で区切ることに罪はない。もちろん、お断りの作法は大事です。

・そして「私は年収600万円の人とでないと会わない」なんて言うのは不粋であり、「もちろん人格面が大事だけど、年収も人格も両方必要」であれば、先に年収でデジタルに判断するのは合理的でしょう。


■最後に

・世の中の仕事はすべてが頭を使うものではない(そこそこでいい)わけで、適材適所で、自分の持ち味が活かせる仕事にあてはまればいいと思います。


※ちなみに、自分自身が採用担当として動いた際は、学歴フィルタ的なことをしてはいません。エントリーシートを1日で700枚チェックしたことも、いい思い出です。きらりと光る京都学園大の人も採りました(オジー、君は今も光ってますか?)。

人と組織と、仕事のこと。

かたちのないものを、言語化したり図解したり。